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佐藤正 (陸軍草創期) : ウィキペディア日本語版 | 佐藤正 (陸軍草創期)[さとう ただし]
佐藤 正(さとう ただし、嘉永2年6月1日(1849年7月20日) - 大正9年(1920年)4月27日)は、明治時代の陸軍軍人。階級は陸軍少将、位階は従二位功四級。広島県広島市出身。広島県平民〔『人事興信録. 5版』(大正7年)さ九〕。歩兵第18連隊長、第3代広島市長、宮中顧問官等を歴任する。 == 経歴 == 広島藩士、勘定奉行の佐藤真五郎の四男として生まれる。 明治5年(1872年)2月、陸軍少尉に任官し東京鎮台第9番大隊小隊長に就任。明治7年(1874年)1月、大阪鎮台に配属され、明治8年(1875年)8月、歩兵第8連隊付となる。明治9年(1876年)4月、歩兵第12連隊中隊長に転じ西南戦争に出征。従軍の後歩兵将校として累進。 明治11年(1878年)1月、陸軍戸山学校に配属され、参謀本部管西局員を経て、明治14年(1881年)3月、陸軍少佐に昇進し近衛歩兵第1連隊大隊長に就任。明治15年(1882年)3月、大阪鎮台参謀となり、明治17年(1884年)12月、仙台鎮台参謀に就任。明治19年(1886年)5月、陸軍中佐に進級。明治21年(1888年)5月22日から休職し、同年9月13日、歩兵第24連隊長として復職。明治24年(1891年)11月24日、歩兵第18連隊長に就任。明治25年(1892年)11月1日、陸軍大佐に進級し日清戦争に従軍する。明治28年(1895年)3月4日、平壌攻略戦の最中銃弾を受け重傷を負う。この怪我が元で左足切断となり、同年3月7日に休職し、同年10月20日、退役と同時に陸軍少将に進級する。 軍を退いた佐藤は明治29年(1896年)1月から同年4月まで広島市長に就任。明治31年(1898年)11月29日、宮中顧問官に就任する。その後東亜同文会幹事長・愛国婦人会事務総長を歴任し、大正4年(1915年)には修道中学校総理に就任する。
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